





DCAT(Doing Church As A Team) に参加して。 中林義朗
これまでにNew Hope主催のDCATに参加されたIJCCのメンバーの方々が何週間かに渡って感想を語って下さいました。講師の話の内容、DCATを通し神様が直接語られた事、感じ方も人それぞれであることは言うまでもありません。
しかし、一つ共通して言えることは、多くの参加者がイエス様と出会ったことで、
劇的に人生の方向転換へと導かれたと言う事です。今日紹介させて頂く方は、
DCATの講師の一人で、劇的な体験をされた一人です。
私が裁判官だった時、全てを手にしました。ガラス張りのオフィースからはアラモアナセンターから海の地平線までさえぎるものなく見渡せる景観。専用の駐車場、専用のトイレも与えられ、まさに成功への道一直線の様な生活をしていました。
人の目には裁判官になった人は、全てを知っていて、人生に何の問題も無いと思われがちですが、実は心の中は混迷していて、人生どこへ向かって行くべきが全く分からなかったのです。心の中は空っぽで、家を何軒買っても、車を何台買っても埋める事が出来なかった。結婚も何度か試したが、心を埋めることは出来ず、クリスチャンでなかった私は結果的に2度も離婚してしまったのです。
そんなある時、New Hopeへ3度目の招待で、コデロ師が言った一言が私の人生を変えたのです。「イエス様の赦しを受けるために、神様があなたの人生の全てに働かれて、今日ここへ送られてきたのです。」
その日から、神様は私に計画をもっておられると信じ、ディボーションを始めました。
次第に神様のビジョンが明らかになるにつれ、裁判官でない将来の姿が見えてきたのです。しかし、第一番目の問題は、金銭的な不安でした。あと数年、裁判官として働けば一生涯心配することないペンションプランが組める。どうすれば良いのか?神様に祈る度に、答えはいつも「わたしを信じなさい。」私の返答は、「お金を見せてくれたら信じてあげる。」こんな繰り返しがしばらく続きました。
そんなある日、「神様がミニストリーに加わるように語りかけているんだが・・・どうしたら良いだろうか?」と妻に相談を持ちかけました。すると妻は、「それは良かった。神様は既に3ヶ月前に私に語られた・・・。」「あなたに神の声を直接聞いて欲しかったから黙っていました。」お母様に同じ相談をしたところ、「息子よ。まあ座りなさい。あなたが産まれた時、将来ミニストリーで活躍するようにと祈ったのですよ。」
神様はそれぞれの計画をいっぺんに見せることはなさらず、個人の気付きの中に語られるのです。神様が語られた時、忙しい生活に紛らわして無視するのではなく、動きを止めて聞き知る事が大切である。神様は私達に常に語られています。心が神様に向かって開かれるとき、少しずつ神様は私達に語られるのです。
私がミニストリーに加わるにあたり、コデロ師とミーティングを持ちました。責任や仕事の内容について説明があったあと、給料の提示を受けました。机上を滑らせ受け取った小さなメモを裏返し、数字を見るなり侮辱を受けた感じでした。学歴もあり、裁判官としての経験もある者が受ける相場の半分でした。
コデロ師は続けて、「常に忘れて欲しくない事は、神様のコール(招き)であるという事。」コールであるという事は、全てをその招きに合わせてアジャスト修正していかなくてはならないと言うこと。
家に数字をもって帰り、妻と全ての出費を見直し、削れるだけ削ってみたが、どう考えてもやり繰りが不可能であることに気付きました。しかし、神様のコールであるならば神様が与えてくださる、人間には計り知れない手段で与えてくださる。
その後、裁判長に会い、州知事に会い辞任の伺いを起てました。メディアは「前代未聞!裁判官が牧師になる。」「多くの裁判官が辞職するが、それは今以上の収入の仕事に就くためで、収入が下がる仕事に就く裁判官を見た事がない・・・・。」など書きたい放題でした。
そんなある日、米国本土で出会ったある男性からイーメールが入り、「世界中に何千と言う裁判官がいるが、こんな素晴らしい決断をした人を見た事がない。あなたのこれからの働きに対して、是非、献金させて下さい。」と送られてきた金額が、不足分に$1も誤差がなかったのです。どうして彼は分かったのか?神様は全てご存知である。
その日のディボーションが、
マラキ3:10「万軍の主は仰せられる。・・わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。」
人生には決断の時がある。アドバイスを頂くことは大切だが最終的に決断を下すのは、あなた自身である。それも奥まった部屋で、神様と静聴の時を過ごす事が不可欠である。
ことの運びをUSCに通う息子に遂次報告していた。するとクリスマスに帰宅した息子が、食事の席で、「親父の決断に感謝している。この世はお金が全てでないことを行動をもってみせてくれて。」
あなたの決断は、あなたの将来だけでなく、子孫に大きく影響することも覚えておかなくてはならない。祈りに入るとき、「主よ。私が分かるように教えて下さい。」と祈ったら、口のチャックを閉め、静かに神の声に聞き入る静聴の時を持つ事が大切。
ディボーションを通して神のことばを聞き知って、一歩先の計画を立てられる事をお勧めします。多くの人は、今起きている事や人に言われた事を対処するのに忙しくただ年月が過ぎてしまっている。主にあって一歩先の計画を立て、不必要な行動は極力避けたほうが良いでしょう。
みことばにあるように、神の声は私の足のともしび。神様はスポットライトで遠くまで見せては下さいません。問題なのは、一歩先が示されたときに従順であるかと言うことです。
私達夫婦は、毎晩寝る前にお祈りをして床に尽きます。翌朝、目覚めると決まって、何か神様の語りかけがあったか、お互いに確認しあいますが、多くの場合、「特別な啓示があるわけではなく、心に平安(方向性が正しいという意味)があるのです。」
ヤコブ3:17 しかし、上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。
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もうすぐ私(中林義朗)はクリスチャン10年目になります。 まだ10年なのと思われる方と、もう10年ですか。といわれる方もいらっしゃるでしょう。
妻タマーの長年の祈りによってクリスチャンとなった私は、この10年間、大きな改革の時を過ごしてきました。教会での奉仕は今までの生活とは正反対で、昔、社長だったころは、秘書や運転手がいて、中国で賃金が安いこともあって、家にはお手伝いさんもいました。また常に通訳や鞄持ち(ボディーガード)が同行して、ペンより重いものを持つ必要がありませんでした。
それに比べ教会での奉仕は、掃除をしたり、物を運んだり、人を車で送迎したり、まさに何でも屋です。今だからこそ話せることですが、それは葛藤でした。「何で社長だった私がこんなことしなければならないんだ?・・・・・・・・。」
その後、神学校の勉強が昼間できるように、レストランで夜ウエイターの仕事をはじめました。最初は大変でした。長年お客さんをしていた私が、食事をお出しする側になったのですから。それが今では、神様に与えられた『人に仕える訓練の場』だと思えるようになったのです。お金をもらいながら訓練を受け、運動にもなる。(最近、痩せましたねと、よく言われる。)教会においても職場においても文句を言わずに感謝できるようにやっとなりました。
使徒20:35 『受けるよりも与えるほうが幸いである。』
人に仕えることが喜びと思えるようになって来たのです。これは大きな変化です。