『2007年の指標聖句』
冬木友博 牧師
「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」 ヨハネ15:5
聖書の中には、植物に関わるたとえ話が多くあります。今は牧師をさせて頂いていますが、私は日本に居る時は、造園の仕事をしていました。園芸とは違いますが植物に関わる仕事をしていました。おかげで、聖書理解や牧会において植物のたとえが良くわかる事があります。感謝なことだと思っています。
さて、ぶどうの木のたとえもその一つです。イエスは「わたしはぶどうの木であなたがたは枝です。」と言われました。皆さんはぶどうの木が、どこまでが木でどこからが枝であるかわかりますか?以前日本でぶどう狩りに行ったことがありますが、私には区別が出来ませんでした。つる状に成長してゆくのですが、根本は太い幹のようでも先は木と枝の区別がつきません。当たり前ですが、木と枝は一体となっていて初めてぶどうの木と呼べるのです。ですから、どこまでが木でどこからが枝だと区別するのではなく、木と枝が一体となってぶどうの木であることに気付きました。すなわち、ぶどうの木の中に枝が存在しているのです。それは、イエスキリストの中に私たち一人一人が存在しているということです。確かなことは、その枝がぶどうの木から切り落とされたらその先には実を結ばないという事です。なぜなら、ぶどうの木には命があり、切り離されると命がなくなるからです。
だからイエスは、「わたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまるなら、そういう人は多くの実を結ぶ」と約束して下さったのです。主にある交わりと言いながら教会から離れているなら実を結びません。主にある交わりは、ぶどうの木であるイエスキリストとしての教会から離れては本当の命がないのです。クリスチャン同志が集まれば主にある交わりになるかと言えば、ならないこともあります。それぞれがしっかりとキリストの体である教会につながっていなければ実を結ばないのです。これは事実です。
IJCCの今年のテーマは、みことばにとどまり、目に見える教会から離れず、多くの実を結ぶ主にある交わりです。本当の主にある交わりを体験したいものです。