−天国と地獄を見た男− Part 2
IJCC教会員
中林義朗
横浜の私立中高に学べた事への感謝
当時、飛ぶ鳥を落とす勢いで事業に成功していた父は母の死後、仕事と養育のバランスを悩み
抜いた結果、私を横浜の伯母の家に預けることに決め、父は大阪に移り住み、実質親子の別居生活が始まったのです。伯母夫婦は私を実の息子(8才と10才年上の従兄弟)と同様、いやそれ以上に可愛がり大切に育てて下さいました。また、年上の2人の従兄弟も真の弟として愛し多くのことを教えて下さいました。こうして10才から18才の思春期を伯母の家で過ごすこととなったのです。その間、中高時代には横浜近郊の経営者の子息が多く通う、関東学院六浦(ミッションスクール)にて学ぶことができたことを親父に感謝しています。経営者としての資質を少しでも学んで欲しいと親父が選んだ学校で、田舎者であった私は中学入学当時、同級生にからかわれながらも勉学以上に標準語の取得に苦労したことを記憶しています。また、6年間バスケット部に所属し、上下関係の厳しさの中に従順であることを学ばされ、訓練を耐え抜き、出ると負けのチームではありましたが、高校3年の時にキャプテンを勤めることが出来た経験をも感謝しています。
タンクを満たそうと(安心を求めて)努力した
しかし、その反面、仕事に忙しかった父の決断を頭では理解できたものの、「親父は自分より仕事を選んだ・・・。」という子供ながらの傷が心から離れず、私を可愛がってくれた伯母夫婦には見せられなかった心の奥底のラブタンクは空っぽだったのです。空になったタンクを満たそうと、様々な努力を試みました。中高時代はバスケットボールに狂い、高校卒業後18才で渡米してからはテニス、ゴルフ、・・・に狂い、就職後はひたすら仕事に狂い、少し成功を手にすると日本人ビジネスマンの典型を真似て、酒、タバコ、カラオケ、ゴルフに狂い始めたのです。一時的には不安な思いを消し去ることは出来ましたが、何一つ行い(Doing)によって空になったタンクを満たすことは出来ませんでした。
父なる神の愛に満たされたラブタンク
そんな常に何かに燃えただごまかしていた、私の心を愛で満たしてくれたのは、今の妻であるタマーだったのです。そして、その愛が彼女から出たものではなく、彼女の両親から継承された無条件(存在Beingを認めた)の父なる神の愛であったことに気付かされたのです。クリスチャンになって父なる神の愛に心の傷が癒され、また、キリストの贖(あがな)いによって永遠の別れに終わる寸前であった親子の関係も修復され、ハワイの地に親父を迎え、神の家族の一員として奉仕できる事は、まさに神業(かみわざ)と言わざろうありません。
「あなたの父と母を敬え。」「そうしたら、あなたは幸せになり、地上で長生きする。」
という約束です。 エペソ6:2−3