「信仰の成熟を目指す」


                                冬木友博 牧師

 
  クリスチャンになって年数だけ過ぎれば、だれでも信仰が成長し、成熟した大人のクリスチャンになれるでしょうか?

クリスチャンになるということは、霊的な新しい命を受けて新しく生まれるという事です。生まれたばかりの赤ちゃんは、一人では生きていけません。何から何まで人の世話にならなければ生きてゆけないのです。両親に愛され、兄弟姉妹・祖父母に愛されて育つ子どもは幸せです。

子どもから大人に成熟するとは、何が変わるのでしょうか?成熟するとは、簡単に言うと自分のことだけでなく、人のお世話も出来るようになると言うことです。ところが、大人になってからクリスチャンになると、霊的には生まれたばかりでまだ子どものようであっても、肉体的精神的には人間として充分大人であるわけですから、すぐに何でも自分で出来ると思ってしまい、育てられるというステップを飛び越えてしまうことがあります。そして、今までの自分の経験や世の中の常識で行動してしまうのです。確かにこの世の中の常識で、充分生活出来ますので、クリスチャンになってちょっとは良い人間になったような気がして、ついつい自分の能力でやってしまうことが多いのです。しかし、それは見せかけの成長です。

本当に信仰の成熟を目指す為には、古い自分は一度死ななければならないのです。そして子どもからやり直すことです。イエスが子どものようにならなければ、天の御国に入れないといわれたのは、そういうことです。子どものように素直に聞き従うことです。

子どものようになるということは、へりくだるということです。成熟する為には、いろいろなことを教えてもらい、学ばなければならないのです。クリスチャンとして成熟するということは、学び続けるということです。もう充分と言うことはありません。いつまでも謙遜に学び続けるのです。それは勉強するということではなく、私たちの生活の中でクリスチャンとして身につけることです。

身につくためには、反復練習しかありません。失敗を繰り返しながら、身をもって覚えていくのです。あきらめないで、逃げ出さないで続けることです。

私たちの信仰の成熟はいつも、オンザウェイなのです。完成するのは天国に行った時です。失敗を恐れず、成熟目指したいものです。