「あなたがたはわたしを誰だといいますか?」ルカ9章

多くの癒しと奇跡を行うイエスを、当時の人々は驚異の目で注目しました。そして、その恵みと恩恵にあずかろうとイエスに群がりました。が、これらの群衆が求めたのは自分へのベネフィットでしたから、イエスが本当はどなたなのか彼らにはわかりませんでした。そこでイエスは弟子たちに問いかけます。「では、あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」ペテロが答えていった。「神のキリストです。」(ルカ920)

ところで皆さんの中に、イエスが名前でキリストが苗字だと思っている方がおられるかもしれませんが、そうではなく、「キリスト」とは、メシア、旧約聖書を通して預言された「救い主」という意味です。そして、キリストこそかつてのダビデ王のようにイスラエル王国を不動たらしめる最強の王として自分たちの上に君臨してくださる方だ、というの当時の常識でした。

そんな思いからペテロは「あなたは救い主です」と答えたわけですが、イスラエルの民のみならず、全世界の人々の救い主であるイエス様は、弟子たちにご自身の死と復活を告げられた後こう語られました。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。自分のいのちを救おうと思う者は,それを失い、わたしのために自分のいのちを失うものは、それを救うのです。」(ルカ923、24)

「自分を捨てる」とは、自己中心の願望、利益、欲を捨てるということです。そこには自己犠牲が伴います。でも、それをしてイエス様に付き従って行く者には、イエス様は比べようもなくはるかにすばらしい計画を用意していてくださり、それを豊かに与えてくださいます。自分が大事で、ああしてください、こうしてくださいという者から変えられていくように。自分の栄光を求め、知らぬ間にずれていく事がないように。そして、永遠の命を手放すことのないように、日々自分の十字架を負い、イエス様についていきたいものです。

人は、たとい全世界を手に入れても、自分自身を失い、損じたら、何の得がありましょう。(ルカ9:25)

インターナショナル・ジャパニーズ・キリスト教会 冬木友博牧師

International Japanese Christian Church 200611月12日聖日礼拝 Message