「どうしても必要なこと」 ルカ10

 

「ビジネスの世界なら人はお金で動く。でも、教会はそうはいかないよ。牧師という仕事は大変だぞ。」と、かつて忠告してくれた人がいました。確かに、教会員はお金で奉仕をするわけではありません。では、なぜ無報酬なのに働くのでしょう?ビジネスの世界だって、100%お金の為に働くわけではありません。人は何の為に働くのでしょう?聖書はこう教えるます。「神様の愛に対する感謝の応答として、私達は働くのです。」

 

エルサレムの東にあるベタニアという村に、マルタとマリアという全く性格の違う姉妹が住んでいました。旅の途中で、イエスと弟子達がこの姉妹の家に立ち寄られると、マルタもマリアもイエスの訪問に大喜びしましたが、その喜び方はまるで違いました。マルタは喜んでもてなしをしようと働きだしました。妹のマリアは、イエスの足元に座って、みことばに聞き入りました。(ルカ1039)そのうち、マルタはもてなしの為に気が落ち着かず、私ばっかり働いているのに、マリアったら何にもしないで!そればかりか、イエス様までもマリアをそのままに許してるなんて!と、頭にきてしまいました。「主よ、妹が私だけにおもてなしをさせているのを、なんともお思いにならないのでしょうか。私の手伝いをするように、妹におっしゃってください。」(ルカ1040

 

忙しいという字は心を亡くすと書きます。マルタは敬愛するイエス様が来てくださったことへの感謝の応答として働き出しました。ところがその心を亡くして、つまり何の為にもてなすかを忘れて、「自分は正しいことを一生懸命している。なのにあの人は!」と、人を非難し、挙句の果ては、イエス様までを批判してしまいました。イエス様はこれに答えて、「マルタ、マルタ、あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。」(ルカ1041,42)とやさしく諭されたのでした。イエス様の言われた、どうしても必要なこととは、マリアのように、みことばに聞き入ることでしょうか?しかしイエスは「もてなす仕事はしないでいいからここに座って一緒に聞きなさい」とは言われず、「マリヤからそれを取り上げてはいけません」と言われただけでした。では、どうしても必要なこととはいったい何でしょう?

 

マルタのもてなすという行為の動機は、もてなすことによってイエス様への愛を示す事でした。最初はうれしくてたまらず、労も苦にせず働いていたのに、やがて愛という動機からだんだんずれていってしまったのでした。マリヤのみことばを聞き入るという行為の動機も、イエス様への愛でした。そして、マリヤは目に見える奉仕ではなく自分なりの愛し方、話を聞き入るということを選びました。人はそれぞれ違います。人と比べる必要はありません。でも、プライドやこの世の常識やマルタのように忙しさから、私達はどうしても必要なことを見失ってしまう事があります。それでも、そんなおろかな罪深い、何度も失敗している私達を神様は愛してくださっています。そして、どうしても必要なことは一つだけなんだよと今日もやさしく私達を諭してくださっています。

 

また、たとい私が予言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値打ちもありません。(Iコリント132

 

 

  インターナショナル・ジャパニーズ・キリスト教会 冬木友博牧師

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