「子どものように神の国を受け入れる者」(マルコ10:13−16)
日本には、七五三という習慣が十一月にあります。わが子の幸せを願う発想そのものはすばらしいですが、問題は誰に対して願うかです。私たちIJCCでは今日の礼拝後に恒例の子ども祝福式を行います。天地万物の創造の神様に対して、この教会に集っている子供達の成長を感謝し、子供達とその御家族の祝福を祈ります。どうぞ、教会員の皆さんもぜひ共に祈りましょう。
さて、子ども達をよく観察すると、彼ら特有の、大人にないものがあることに気付きます。子どもの特徴としてまず挙げられるのは、自分の力より助けを必要としている、と言うか、赤ちゃんや幼児は助けてもらうのが当たり前ですね。ミルクを飲ませてくれるのも、おしめを変えるのもみんな親がやってくれるのを受ける一方です。そして、お世話してくれる親に単純な信頼を持っています。もしかしてお母さん僕のご飯に毒を入れてやしないかなんて、子どもは疑ったりしないんです。そして、子供達って愛を受ける能力に大変優れていますよね。遠慮せず、もっと愛して!もっと注目して!それが子どもです。さらに、子どもには大人にない霊性があります。幼ければ幼い時ほど、目に見えない神様を感じて純粋に信じることができる力が強いんです。
私達も、誰でもかつては子どもだったのですが、大人となって、大人の視点から子どもを見ると、ただかわいいとか、すばらしい能力の持ち主だとばかりも言っていられません。IJCCには本当に多くの子供達が与えられていて、とても有難い事なのに、大人の常識で判断して「うるさい!」とか「じゃまだな〜」時には「あ〜全くもう」などと、思ってしまうことも正直なところありますよね。イエス様の弟子達も、私達と同じ様な思いを持ったようで、『イエスにさわっていただこうとして、人々が子どもたちを、みもとに連れてきた。ところが、弟子達は彼らをしかった。』(マルコ10:13)とあります。これに対して、イエス様はどうなさったでしょう?
「イエスはそれをご覧になり、憤って、彼らに言われた。『子どもたちをわたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。まことに、あなた方に告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。』そして、イエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。」
(マルコ10:14−16)
ここに大切な真理があります。天国は子供のような者のものです。どうしたら天国に入れるのでしょう?それには、次の三つの条件を満たす事です。
1. 子どものように単純な信頼(信仰)を持っている。
子どもは何を食べようか、何を着ようか、そんな心配をしません。自分に必要なものは全部お父さんお母さんが知っていて、すべて用意してくれると単純に信じているからです。見習いましょう。不景気がこの先どうなるか、病気が再発しないか、そんなことは天のお父様がすべてをご存知で最善を成してくださると信じてまかせ切ったら大安心ではありませんか。
2. 子どものように天国への希望を持っている。
「死んでからのことなんかどうでもいいから、今の現実のこの問題、これを何とか解決してください!」と叫びたくなる時、私たちはこの世がいかに不平等かを思い、この地上では報われない事がいっぱいあることを知ります。でも、死んでおしまいではないと聖書は教えます。むしろ、この世での生は永遠の世界からしたらほんのプロローグに過ぎないし、たとえこの世で報われなくても、天国では祝福がいっぱいあると。そこには永遠への希望があります。真実な神様のことばを子どものように単純に受け入れ信じて希望にあふれましょう。
3. 子どものように愛を受ける能力を持っている。
「私はまだまだ足りないものだから」「こんなよごれた自分が神様に愛していただくなんておこがましい」と言って遠慮しない事です。ありのままの自分でいいのです。欠けている自分、罪深い自分ですが、だからこそイエス様が身代わりになってくださったのではありませんか。そうです、自分のことは棚に上げて、「ありがとうございます!」と天のお父様の愛を両手いっぱいにいただきましょう。そして、神様の愛に満たされて喜びに満ちたら、「さすが、私の神様はほんとにすごい!」と心から感謝する、それが神の子の仕事です。
「こういうわけで、いつまでも残るのは信仰と希望と愛です。その中で一番優れているのは愛です。」(Iコリント13:13)
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ありのままの子どもたちを受け入れましょう。