奨励 『種蒔きと刈り取り』 (ヨハネ12:24) 

 何か良くない事が起きると「バチが当たった」とか「それは自分でまいた種だから」などと言うことがありますね。聖書は教えています。まかれた種は、必ず刈り取る時が来る、良い事も悪い事もと。今日はこの種まきと刈り取りにおける神様の原則をご一緒に学んでいきたいと思います。

1.まかれた種は刈り取る時が来る。

 私たちは日々口にする言葉や行動を通して、知らない間にいろいろな種を蒔いています。私の高校時代の話です。やんちゃを通り越した言動で、同級生からさえ「死ななきゃなおらないだろう」と言われていた男子生徒がいました。ある日彼はバイクでスピードを出しすぎ、電柱に激突、即死してしまいました。それを聞いたクラスメートの反応は、「びっくり」よりも「やっぱり」でした。自分で蒔いた種は自分で刈り取る日が来ます。だから、刈り取りたくない種を蒔いていたら、今すぐやめなきゃいけない、という事をまず学びたいと思います。
「逃げる雀のように、飛び去るツバメのように、いわれのないのろいはやって来ない。」(箴言262

2.豊作を信じて蒔き続ける事。

 あなたはどんな種を蒔いていますか? 口から吐く言葉、普段何気なくとっている態度や行動は、はたして神様と人とを喜ばせるものとなっているだろうか? 点検して、軌道修正して、良い種を蒔きましょう。蒔き続けましょう。良い種を蒔き続けれが、必ず神様が良い結果、よい収穫をもたらしてくださいます。
「私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。」
Iコリント36

3.自分自身が人生の種である。

 小さな小さなスイカの種。これが地に蒔かれ、やがて大きなボールのような実をつけます。どうしてあのちっぽけな真っ黒い種から、大きな緑のスイカができて、中を割ってみると、赤だったり黄色だったりするのでしょう? これは、神様の奥義です。そして、実は私達自身も、一人一人神様の計画が備えられている種、人生の種なのです。

「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」(ヨハネ1224

 いくら努力して磨きを掛けたとしても、種でいるうちは、どんなに頑張ってみても、種は種。小さな一粒のままです。でも、もし自分に死んで、神様の導きに従って歩む人生を選び取ったなら、やがて神様はその人を通して多くの実を結ばせてくださる、という約束です。

 一人の方を、その例としてご紹介したいと思います。IJCCは、今から26年前に三橋恵理哉牧師が宣教師として札幌福音館から派遣され、スタートした教会です。札幌福音館は、三橋先生のご両親、萬利先生と幸子先生が開拓伝道で始められた教会ですが、お父様の萬利先生は幼い頃から手足が不自由でした。独身時代の萬利先生は、友人の手を借りなければ教会に来る事さえできません。それを見た当時19歳の幸子先生は、「神様、あの三橋さんに、どなたか人生の伴侶となる助け手をお送りください。」と祈られたそうです。すると神様は「あなたはどうですか?」とおしゃいました。「神様、私はまだ19歳です。それに、私には看護婦になるという夢があります。」ところが、何度も祈るうち、「あなたはどうですか?」という神様の声を真剣に受け止めるようになり、ついには周囲の猛反対を押し切り、自分の立てた看護学校に行って看護婦になるという人生計画を断念して、幸子先生は神様の導きに従う決断をします。一粒の種が地に落ちて自分に死んで、神様の扱いに身を任せました。その結果、今日に至るまで、札幌福音館で、どれほど多くの収穫があったことでしょう。更に、このハワイの地で、IJCC通して、皆さんも私も救われ、更に今この教会は冬木先生にバトンがリレーされてからも、神様のご計画に従って、救われる魂が起こされ続けています。そのスタートが、当時19歳だった恵理哉先生のお母様が自分に死んで主の導きに従った決断であったことを、今日ご一緒に覚えたいと思います。

 

 あなたはどこに種を植えますか?

この教会こそ良い地です。私はかつて、種のくせに地から掘り上がって、この教会を飛び出し、他の教会を掘ってそこに埋まってみるというような事をしました。が、結局、どこへ行っても平安がない。神様は私の胸にお語りになりました。「帰りなさい。」それで、私は先生方にお詫びして、又この教会に戻していただきました。家族全員、この教会に植えられました。神様に立ち返る事がなかったならば一生離れ離れであったはずの父までも一緒に暮らし、共に神様を礼拝する事ができています。お金もあって、大きな家に住んでいた日本の暮らしと比較すると、今は狭いアパート暮らしです。でも父はそんな生活が天国だと言ってくれます。「たとえ狭くても、孫たちに囲まれての今の生活は忘れていた愛を感じさせてくれる」と。僕がしたのは第一ボタンを神様に留めた、それだけです。こんがらがったワイヤーをほぐそうと思ったら、一番端を持って振ってみる。そうすると、スルスルっともつれていたワイヤーがほぐれてくるんです。しっかり神様につながって、後は信頼し、ゆだねる。そうしたら、神様が必ず解決してくださるんです。

 今、あなたの問題は何ですか? ボタンを全部はずして第一ボタンからやり直してみませんか?自分が種なのか、神様の命令に従って死んでいるのか、今日、吟味してみませんか?自分に死んで、しっかりこの教会に植わりましょう。そして、毎週日曜日、必ずここに来てください。私も仕事をしていますからこの世での日々の生活では見聞きしたくない事、いやな事、数え上げたらきりがありません。そのつど心が揺らぎます。だからこそ、毎週日曜日、礼拝を通して、神様に軌道修正していただく必要があるのです。そして、神様から力と喜びをいただいて、ここから世に遣わされて行きたい、そう願います。

 

「まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」(ヨハネ1224

 

インターナショナル・ジャパニーズ・キリスト教会 中林義朗兄

International Japanese Christian Church 2009104日聖日礼拝 Message