「灯台下暗し」Law of Recognition認識(気付き)の法則 マルコ8:18
毎日の生活の中で本当に色々な事が起こるものです。その中で落ち込むのも自由、主に希望を持って生きるのも自由。それらは私たちの選択です。昨日とても悲しい葬儀に参列しました。2歳の男の子の突然の事故死。なんと声をかけたらよいか、どう理解したらいいのか。ある時突然TVが2歳の坊やの頭に落ちたそうです。病院に運ばれ3週間集中治療室で手当てを受けたという事で、医師や看護師も葬儀に出席されていました。「助けられなくてごめんなさい。」実は、この坊やの父親、Aさんと私とは20年来の友人です。「僕はクリスチャンではないけれど、明日の礼拝に出席したい。」と言ってくださり、今日ここに来て下さいました。私は彼になんと声をかけたらよいか、本当に胸が詰まります。でも、ひとつだけ、確信して言える事があります。それは、坊やは今イエス様と共にいて、そこは神様の栄光に満ちたとても輝かしくすばらしいところで、痛みもなければ悲しみも苦しみもない、と言う事です。天国とはどんなところでしょう?ビリーグラハム師の言葉によれば「それはもう、実にすばらしいところで、そこに入ったら、もう二度と地上に戻りたいなどと誰も思わないでしょう。」だから、天国に行かれた方が願う事があるとしたら、それは地上に残された愛する人が自分の死によって気落ちせず、しばしの別れの悲しみを乗り越えてほしいという事ではないでしょうか。
さて、今日はもうお一人、ご家族と共にこの礼拝に集っておられる方、よし子さんを紹介したいと思います。彼女は今職場で私のアシスタントをしてくださっている方なのですが、実はこんな事があったんですよと話してくださいました。ある時息子さんがまだ幼いころ、子供用プールで遊んでいたそうです。ところが、一人でそのプールを出てトコトコ歩いて行ってしまったらしい。なんと、彼は大人用プールの底に沈んでいたのです。そのプールサイドにこの教会のメンバーであるアレンさん一家がいました。アレンさんが飛び込んで男の子を引き上げた時には、体は冷たく唇は紫で生きているようには見えなかったそうです。が、アレンさんの奥さんいつ子さんは、今までこれほど祈った事はないというほど真剣にその子のために祈りました。他にも何人か集まってきて一緒にその場で祈ったそうです。すると、突然口からゴボッと大量の水が出て、息を吹き返したんだそうです。診察したお医者さんが「これは奇跡だ。」と言ったそうです。Y子さんが、「おかげさまで、今はその子も8歳になりました。本当にアレンさんいつ子さんというクリスチャンのご夫婦に助けられました。もしかして、この方たちをご存知じゃないですか?」と私に聞きました。ご存知も何も、私とおなじ教会のメンバーです。これは偶然でしょうか? 神様は今日彼らご家族をこの礼拝に招かれました。私たちも、誰一人神様の招きなくして主を礼拝する事はできません。主よ、お招きを感謝します。心をあなたに開きます。お語りください。神様に第一ボタンをしっかりとかけて、みことばを心で受け止め、応答していきたいと思います。
さて、きょうのみことばです。
「目がありながら見えないのですか。耳がありながら聞こえないのですか。あなたがたは、覚えていないのですか。」(マルコ8:18)
イエス様は弟子たちにこう言われました。あなたがたは、私が共にいる時すべての必要が満たされている事を実際に体験して知っているはずなのに、何をあたふたしているのですかとたしなめられたのです。私たちも、日々起こる問題のさなかで、主の守りと祝福があるのに、ただそれに気付いていないだけだとしたら、どうしますか?みすみすそれを取り逃がしている事を知らずに、益々あがいているとしたら、どうですか?こんなにもったいない話はありませんね。今日はぜひ、皆さんと、主の恵みを認識する、それに気付く法則を学んでみたいと思います。
認識(気付き)の法則
%_ 全てがすでに神様から与えられている。
私はイエス様に出会って人生が変わりました。もし聖書に出会っていなかったら、間違いなく離婚していたでしょうし、たぶん今頃は酒の飲みすぎで死んでいたろうと思います。なにしろ「一に成功。二に成功。黙って俺について来い!」でしたから。お金?成功して、有名になる事? 昔はとても大切でした。いつも「社長」と呼ばれ、「ボス」と呼ばれていい気分でした。先日こんな事がありました。ニコニコしながら妻が私に「Daddyっていいタイトルじゃない?」と言うんですね。昔の私だったら、「何を寝ぼけた事言ってるんだ、俺は千人の部下を持つビジネス戦士なんだぞ。俺のタイトルは社長だ。」と妻を馬鹿にしたかもしれません。クリスチャンになって10年。正直、まだ「社長」も魅力的です。が、「そうか、Daddyってタイトルのある自分は幸せ者だな」と気付きつつある私です。ところが、今でも、日本では仕事を第一にしてるビジネスマンが多く、家では「風呂、メシ、寝る」しか言わないという家庭があると聞きます。しかも、最近は、そんな夫の退職を機に離婚を要求する妻が増えている、愛が冷え切っている時代です。そこまでしてでも成功して、お金、名誉、地位がほしいか・・・確かに私も昔はそれがうれしいと思ってました。でも、よく考えてください。お金も名誉も、地位もタイトルも、立派な家屋敷も、そんなものどれひとつ天国に持って行けないんですよ。共に持って行けるのは、愛する兄弟姉妹、イエス様に導かれた家族や友人や一緒に仕事をした人々だけです。しかも、いつ天国に召されるかなんて、誰も私たちにはわからない。
あなたにとって一番大切なものは何ですか?家族がいらっしゃいますか?かけがえのない家族と、愛して愛される関係にありますか?「あなたの妻を自分を愛するように愛せよ」なんて言われたって、自分の力じゃ出来ませんよ。第一、自分を愛する事さえわからない。子どもが「これやって」と目を輝かせて近づいて来たのに、「今忙しいの。今度、今度。」とその目を見ることすらしない。身に覚えありますか?「今度とお化けは出たことがない」って言います。まず神様からすばらしい宝を与えられてるのにチャンスをみすみす逃してる自分に気付きましょうよ。自分の価値観のパラダイムシフトの必要性です。
%_ 気付かれないものは失ってしまう。
人生にはチャンスが平等にめぐってくるといいます。でも、それに気が付かないと、それを失ってしまう。たとえば、あなたにとって最良の人生の伴侶となる人があなたの人生に現れる。でも、あなたはそれに気付かない。その人は他の誰かと結婚してしまう。チャンスはそれに気付いてつかまないと失ってしまうのです。
1800年代のアメリカはゴールドラッシュの時代でした。ある夫婦が土地財産を全部処分して、金鉱を捜しに出かけました。ところが見つからない。一向に金が出ないので、もと住んでいた所まで戻ってみると、なんと昔住んでいた所に柵がめぐらされている。どうしてだと思います?もと自分の土地だったところが、実は金鉱だったんです。ほんとにあった話だそうですよ。
イエス様が十字架にかけられたとき、ともに十字架刑に処せられた男が二人いました。一人はイエス様に向かって悪口を言いましたが、もう一人は「お前は神をも恐れないのか。俺たちは悪事をしたんだから報いを受けて十字架にかかって死ぬのは当然だけれど、このお方は何も悪い事をしていないんだぞ。」と言って、イエス様に目を向けました。「イエス様。あなたの御国の位にお着きになる時には、私を思い出してください。」彼はチャンスに気付いたんです。イエス様は彼に言われました。「まことにあなたに告げます。あなたは、きょうわたしとともにパラダイスにいます。」(ルカ23:43)
%_ 気付かせてくださるのは聖霊です。
イエス様は、ご自身は何の罪もない方でありながら私たちの罪のために十字架で死なれ、預言のとおり三日後によみがえり、その後天にもどられる前に、「もう一人の救い主があなたがたに与えられます」と言われました。それが聖霊です。霊は目に見えません。でも、なぜか胸騒ぎがする、とか、この胸に主が語って下さった、というような経験をなさった方はこの中にもおられるはずです。後ろに座っておられるゲーリー渡辺さんも、その中の一人です。彼は神様から「お前はいつも中途半端だ。なぜわたしの言う事を聞かないんだ」と語られていたと言います。彼はウエデイングのビジネスを立てあげようと、チャペルの候補地を捜しているところでした。そんなある日、車を走らせてエアポートの近くに来たら、「ここだ」と主の言う声を聞いた、様な気がしました。渡辺さんは思わず車の中でつぶやいたそうです。「ここだ、って言ったって、神様、ここは水上飛行機のところですよ。」でも、「ここだ」と言う声は確信に満ちて聞こえ、それが消える事がありません。「・・・わかりました。神様。いつも私は中途半端で、信じきらない男でしたが、あなたのおことばと信じて従います」、彼はオフィスのドアを開け、勇気を出してこう言ったそうです。「私はウエデイングのチャペルを建てる所を捜しています。」そうしたら、”This is your lucky day.”という答えが返ってきたんですって。何がどうなってるの?って感じですよね。実は、そこのオーナーは、ある人からチャペルの建築許可証を取っておいて下さいと頼まれたので、許可証を取ってずっと待っていたそうです。けれど、その人がいっこうにもどってこない。だから、あなたにする、とこういうわけだったんです。信じられますか?でも、これは事実です。今渡辺さんはその場をチャペルにしてウエデイングを実際にしているわけですから。聖霊を信じるか、信じないかはあなたの選択です。彼は信じて従いました。頭でごちゃごちゃ考えないで、従ったんです。
もう一度整理します。第一に、すべてのものはすでに主から与えられています。第二に、問題は私たちにある。気付かないと与えられているものも失うんです。そして、第三に、聖霊は気付かせてくださる。それに従うか、無視するかはあなたしだいです。
プールサイドにたくさんの大人がいたのに、どうして誰にも見られずによちよち歩きの幼児が大人のプールに行って、底に沈んだのかは分かりません。でも、絶妙のタイミングで、アレンさんに「飛び込め!」と聖霊が語ったんじゃないですか?彼はその瞬間、財布も携帯も持ったまま飛び込んだんです。私だったら、あ、ネクタイ、あ、財布、携帯も濡れちゃ壊れる・・・なんてやってるうちに、手遅れだったかもしれません。アレンさんはとっさに気付いた瞬間飛び込みました。
渡辺さんがチャペルを捜している事を神様はご存じなかったでしょうか?海の上のチャペルは神様のご計画ではなかったでしょうか?すべて用意されて、神様は「ここだよ」と気付かせてくださいました。その導きに幼子のように素直に従えばいいだけでした。
本当に、神様に出会って、私たちの人生は変わりました。それを伝えなきゃいけない。こんなすばらしい神様を、伝えないわけにはいかないんです。大体「いくらお金持ってきたの?あんたのタイトルは?」なんて、そんな事聞く人いませんよ、天国には。そろそろ気付きましょうよ。本当に大切なものは何ですか?それをしっかりつかんで、一度しかないこの地上でのあゆみを、意味のある人生にしたい、心からそう願います。
「どうしても必要なことはわずかです。いやひとつだけです。」(ルカ10:42)
インターナショナル・ジャパニーズ・クリスチャン・チャーチ
ビジネス牧師 中林義朗
2010年10月24日礼拝メッセージ