『神は人の心を3000度の火をもって試される』 (箴言173) 

 金や銀を純度の高いものにするためには高温でそれを溶かし、浮いて出てくる不純物を取り除くという工程を繰り返すのだそうです。高温で熱するというと、焼き物を思い浮かべる方もいらっしゃると思います。陶器を作るにもいくつかの工程があって、まず粘土をこねて成形し、これを一週間ほど乾燥したあと800度の熱で素焼きします。物によってはこの段階で壊れてしまう物も出てくるそうです。その過程を経て始めて本焼きになります。この段階では1200度から1500度の高温で焼かれます。備前焼の焼き物ともなると、3000度の火をもってしても割れない、実にしっかりとした陶器になるのだそうです。

 しばしば聖書では、神を陶器師、人を土の器にたとえた表現がなされています。陶器の中には、その錬られた品性ゆえに燃えたぎる高熱の試練にも悠然と耐えられる人もあれば、些細な事にもすぐかっとなって、弱い火でもすぐ割れてしまう人もいます。あるいは、メッキがはがれるという表現があるように、平生は徳の高い様に見えた人が、火にあぶられたとたん正体を現し、にせものだったという事が露見してしまうという事もあります。私たちがクリスチャンとして生かされるということは、主の試練の火によって日々鍛えられ、品性を高められ、神様に用いられる器として世に出されるということに他なりません。いったいどうしたら、何を言われようと、どう扱われようと、何が起ころうと、これでもかというほどの困難に遭遇しようと、つまり3000度の火で焼かれようとも、平然と耐える事が出来るようになれるのでしょうか?

 それには、神様に私たちの中にある不純物を取り除いていただく必要があります。ガラテヤ書には次のような神様に喜ばれない肉の行い(罪の性質から出る行い)が書かれています。「肉の行いは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。」(ガラテヤ51921)不品行、汚れ、好色・・・ある統計によると男性の50%、女性ですら30%がポルノ中毒だそうです。偶像礼拝は神様以外をアイドルとして心に持つ事です。歌手やスター、アイドルの追っかけは偶像崇拝行為ですが、仕事もお金もそれに心が捕われるならばその人の偶像となります。魔術は占いが代表例ですね。敵意、争い、そねみ、憤りは文字通り理解できると思いますが、党派心っていうのはわかりますか?自己中心な大志を抱き、主のみこころでない自分勝手な計画を立てる事です。分裂、分派、ねたみ、それから酒に溺れる、ギャンブル・・・これら15の不純物は、神様の火であぶってそのつど取り除いていただかなければなりません。

 私たちの心を試すのは神です。日々の生活の中で遭遇する一つ一つの事に、私たちがどう考え、どう行動していくか、そのどんなに小さな事も、全ては主の前に明らかです。ですから、私たちは聖霊を求めなければなりません。聖霊の導きによってこそ、私たちは不純物を取り除かれ、イエス様のように変えられるからです。ガラテヤ書の続きには、聖霊のかぐわしい九つの品性が書かれています。「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。」(ガラテヤ52223IJCCでは一月からこの事を順に学んできて、今月は4番目の「寛容」(longsuffering,patience)について学んでいるわけですが、イエス様の忍耐と寛容を思う時、人間の力では、それに近づく事などとうてい不可能と悟ります。しかし、もし私たちが御霊によって導かれ、御霊によって歩み続けるならば、やがて寛容も、平安も、喜びも、愛も、これらの品性すべてのひとつひとつを実にバランスよく兼ね備え、3000度の熱の炉に投げ込まれても、その火に耐える事が出来るキリスト者へと変えられて行く希望の道があるのです。

 今日は母の日ですね。お母さんのいない人はだれもいません。私たちのお母さんに心からありがとうと言いたいと思います。さて、ある少年ががんを患って臥せっているお母さんの為に靴を買って、母の日にプレゼントしたいと思いました。靴屋さんのショーウィンドウをじっと見ている彼に、そうとは知らずにたまたま自分の靴を買いに来ていた女性が興味を持って声をかけました。事情を知ったその女性は、「お金がないの?心配しないで。私が払うから、お母さんの靴を選びなさい」とお店の中に招き入れ、少年に靴をプレゼントしたそうです。そうしたら、その少年は彼女をじっと見つめてこう聞きました。「あなたはイエス様の奥さんですか?」”Are you Jesus’wife?”

 今我が家の子供たちは、だれが最初に「あなたはイエス様ですか?」と言われるかというコンペテイションをしています。ある子はホームレスにランチをあげて靴を履いていなかったのでスリッパ(ゴム草履)を買ってあげたら、ありがとうは言われたけど、「あなたイエス様?」とは聞かれなかったと言っていました。親切は良い事です。でも、神様は心を試されるんです。動機が不純だったら、これは御霊の実ではありません。大人の私たちも自分の動機を点検し自らを戒めたいと思います。「親切にしてあげたのに、あの人ったら・・・」と、腹の底には肉の思いが渦巻いていて、自己中心だったり、見返りを求めていたり、人をさばいていたり、そんな自分に気づかされる事があります。そういう時はすぐ悔い改め、方向転換できるように聖霊の助けを求めましょう。

 神様、不純物がいっぱいなのにそうでないように振舞ってしまう、そんな者ですが、メッキで無しに、本物の純金のようになりたいと願います。聖霊様、助け導いてください。

 

「銀にはるつぼ、金には炉、人の心を試すのは主。」(箴言173)

 

インターナショナル・ジャパニーズ・キリスト教会 中林義朗牧師

International Japanese Christian Church 201059日聖日礼拝 Message