「もし、我が家に九官鳥がいたら?(エペソ4262932)

 東京のある居酒屋の店先で飼われている九官鳥が話題になっているそうです。「いっらっしゃいませ〜」とか「ビール!」など、上手に言うそうです。きっと、何度も聞く言葉を覚えてそれを口真似するんでしょうね。もし、あなたの家に九官鳥がいたら、真っ先に覚えるのはどんなことばしょう?案外「疲れた〜」とか「うるさい!」かもしれません。我が家で子供たちと話し合ってみました。「我が家でよく聞かれることばのトップテンは何だろう?」何しろ我が家は子供が7人、プラス8人目がおなかに与えられていて、いつもにぎやかです。実は七番目の息子が今ちょうど言葉を覚え始める時期で、意味もわからず何やら言うんですね。彼は我が家の九官鳥です。その彼がよく口にする言葉、何だと思います?「それはStop Go awayなんです。」これではお客様をお呼びする事ができません。お客様が家に来れらたのに、Stop, Go awayとか言ってたら、お客様は皆逃げてしまいます。あなたのご家庭で現在頻繁に聞かれるのは、どんな言葉でしょう?ことばに関する次のみことばから、今日のお話を始めさせていただきたいと思います。

 「悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要な時、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。」(エペソ4:29

このみことばを、じっくり聞いて、一言一言かみ締ると、すごい事を言ってるなって思います。ことばなんて、言いたい時に言いたい事を言う、それが当たり前と思っていたら、そうではないのです。悪いことばはいっさい口から出してはいけないと聖書は教えます。さらに、良いことばも、必要な時だけ、相手の人の徳を養うのに役立つことばを選んで話しなさいと。自分の言いたい事をべらべら話してもダメって事です。とっても難しいけれど、神に栄光を帰するためにはとっても大切なポイントだと思います。ただガチャガチャ話せばいいってもんじゃない、口からものを言う前に「このことばがこの人にどんな徳を与えるんだろうか」と考えるべきだ。時を選んでその人が恵まれることばを語りなさい、という事でしょう。人が恵まれることばとは一体どんなことばでしょう?それは、その時、その場でその一言を言われて、その人がほっとすることばです。「お疲れ様でした」「ありがとう」「お願いします」「感謝します」・・・子供たちにとっては、<そのままのあなたを受容してるよ>という親の愛が伝わる事ほど、ほっとするものはありません。「生まれてきてくれて本当に良かったよ」「I love you愛してるよ」「ありがとう」そんなことばがいつもあなたの家庭で聞かれたら、九官鳥が何を言うのをいつだれが聞いても、心温まるに違いありません。

 次のみことばを聞きましょう。

「怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。」

(エペソ4:26

クリスチャンになる以前の私は、家内と食い違いが起こると「あ〜もう疲れてるんだ。寝かせてくれ!」と問題を棚上げして未解決のままその日を終えていました。でも、これでは逃げているだけです。そのうちに雪崩が来て、夫婦の危機が襲います。私はクリスチャンになって、このみことばを握りました。私たち夫婦はそれ以来、国際結婚から来る異文化の衝突やお互いの見解の相違があるたびにこのみことばに忠実であろうと努めています。日が暮れるまでといっても、私は夜仕事をしていますから、帰宅して話し合い、決着がつくころには夜が明けるということもありました。が、とにかく未解決のまま床につく事がないようにした結果、夫婦の衝突というのがものすごく減りました。最近は、ただ話し合うのでなく、それぞれが自分の思いをひとまずテーブルに載せる、そのテーブルに載ったものを第三者の神が上から見るように客観的視点から眺め、建設的解決を求めるというアプローチに切り替えたら、なおうまくいくようになりました。皆さんも試してみてください。とにかく、ポイントは怒る事があっても、その怒りを自分の中にとどめていてはいけませんよ、罪を犯す前に離れなさい、「悪魔に機会を与えないようにしなさい」(エペソ4:27)ということです。

 今日の三番目のみことばです。

「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださった様に、互いに赦し合いなさい。」(エペソ4:32

あなたが頭に来るときはどういう時ですか? 自分の思い通りにならない時、カチンと来ますよね。「何でそんなに遅いんだよ。もっと早く歩け。」なんて、そしることばを口走るのは、普通に歩いてふと振り返るとずっと後ろにゆっくり歩く家族を見る時です。相手は私の様に早く歩けないのに、愛がないな〜と反省します。かと思えば、何度も同じ事を言ってるのに「いったい何度言わせればわかるの?」と言いたくなる時があります。でも、鬼のように怒って「何度言ったらわかるんだ!」と言っても、益々マイナスでしょう。こちらが何度言ってもわからないという事は、伝わっていないという事です。私の言い方が悪かったから伝わらなかったと、クリスチャンならイエス様にならってへりくだるべきです。それができたら、イエス様の様に忍耐を持って、相手がはじめて聞くかのように、優しく説明すべきです。「親切で心の優しい人となり、神に赦された者らしく、人を赦せる人にしてください」と心を砕いて祈りたいと思います。そして、それを実践できる者に変えられるよう、聖霊の助けを祈り求めたいと思います。

 最後に、短いお話をして終わりたいと思います。昔中国の奥地に生まれた一人の青年がクリスチャンになろうと考えました。しかし、孔子の教えや仏教の教えよりキリスト教がすぐれているという確信がまだなかったので、はっきり知りたいと祈りました。すると彼は夢を見ました。夢の中で、彼は深い深い穴の落ち、穴の底からはるかかなたの入り口に向かって必死に助けを求めました。すると、孔子が穴の入り口に立って言いました。「わが友よ。私の忠告を聞いて、もしここから出られたなら、再び落ちないように気をつけなさい。」そうして孔子は行ってしまいました。次にお釈迦様が上から見下ろして言いました。「もし自分の力で私が助けてあげられるところまで上がってこられるなら、助けてあげよう。」そして、やがて去っていきました。最後にイエス様が穴の入り口に来られると、何も言わずに穴の底まで降りてこられ、彼を抱きかかえて穴の外へと救い出してくださいました。その時、青年ははっきりとわかりました。イエス様は神であられるにもかかわらず、その御愛ゆえに私のところまで降りてこられ、ご自身で私の罪を贖ってくださった、それゆえ私は救われたと。これがキリスト教の奥義です。穴に落ちても、つまずいて倒れても、私たちのレベルまで来てくださって、助けてくださる、それがイエス様です。ですから、愛されている者らしく、いつどこにいても、だれが見ていてもだれが聞いていても、同じ言動ができて、安心して堂々と本道を歩くものでありたい、イエス様にならう者となりたい、神に対して栄光を帰する生き方をしたい、と切に願います。

インターナショナル・ジャパニーズ・キリスト教会 中林義朗牧師

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