「最後には本物が勝つ」

 

イエスは答えて言われた。

「この水を飲むものは誰でも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲むものは誰でも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、

その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」

ヨハネ41314

 

ハレルヤ!今日も皆さんと共に礼拝できる事を主に感謝します。

皆さんはゴルフに興味がおありですか?ソニーオープンというのがつい最近ここハワイで行われました。今年はマークウィルソン選手が優勝しましたが、この人が優勝インタヴューで勝因は?と聞かれ、こう答えたそうです。「実は先週私は教会に行って説教を聴き、『小さなことにくよくよするな』と語られました。だから、ミスショットをしてもいちいち気にしないで、一つ一つ丁寧にプレイしたら結果として勝つ事ができました。」人生にも問題はたくさんあります。でもいちいちくよくよしないで前進する。そうしたら、良い結果が出る。その時「自分の力でやったんだ」とおのれを誇らずに、「主に感謝します!」と栄光を主にお返して、こつこつ前進を続ける。それが人生の真の勝利者ではないでしょうか。今日のタイトルは「最後には本物が勝つ」です。

プロゴルファーと言われる人が、世界には何人くらいいるでしょうね。その中でソニーオープンのような賞金の出るトーナメントに出場できるプロの中のプロと呼ばれる人達は150人くらい。その中で今回予選を勝ち残ったのは、わずか70人です。本物になるのは大変な事です。企業も世界中にたくさんの企業があるわけですが、毎年このような大きなゴルフトーナメントのスポンサーができるソニーは本物の企業と言っていいと思います。何しろ世界のソニーですからね。でも、日本の一企業から世界のソニーに躍進したのには理由があります。20年前、ウオークマンが1億売れ、世界的ヒット商品となりました。その時の開発事業部本部長は「安くて売りやすいものを出そうとしてはだめだ。高くても売れる本物の製品を開発しなくてはならない。」と言ったそうです。偽物や安物で勝負してはいけない、と言う事でしょう。「安物買いの銭失い」とか「安かれ悪かれ」と言われるように、安物は買い集めてもなかなか満足できません。逆に、高くても高品質で価値のある品物というのは1020年使っているうちに益々本物の味がでてきます。実は我が家では今そういう電気かみそりを親子3代でシェアーして使っています。おじいちゃんはさすがに年の功でいいものが分かるんですね。どうせ買うならいい物を買う。それを私と息子も借りて使わせてもらっています。本物を手にするまではあれを試し、これを試し、でも結局満足できないんです。物だけじゃありません。心も同じです。もし今皆さんの中に、心の中に満足感がない、人生つまらない、生きてる目的が分からない、心に力強さを感じられない、そういう方がいらっしゃるなら、もしかしたら、心で偽物をつかんでいて本物に出会っていないのかもしれません。今日のみことばを自分の心をじっくり見つめながらもう一度聞いてみてください。

 

「この水を飲むものは誰でも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲むものは誰でも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、

その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」

ヨハネ41314

 

イエス様がこう話された相手とは、サマリヤという町で人目を忍んで井戸に水を汲みに来たある女の人でした。この人は以前5人の男を持ったが満足できず、今6人目と暮らしている心の餓え渇いている人です。イエス様は初対面ですが、そのことをすべてお見通しでこう言われたのです。「次から次へと男性を変えても、本物に出会えないで満足したかと思うとすぐ渇いてしまう、あなたの人生はそういう人生です。あなたが心を満たそうとして求めている対象は偽物ですよ。だから、この水のように、飲んでも又渇くことの繰り返しです。わたしが与える水は本物です。わたしが本物なのだから。あなたの心の渇きを癒せるのはわたしだけだから。私に来て、わたしが与える水を飲みなさい。そうしたらあなたは、本物の愛、本物の自由、本物の希望を受けて、受けるだけでなく、あなた自身からそれらが永遠に湧き出るようになります。」

 

旧約聖書の時代にソロモン王という、世界中に名をとどろかせた王様がいました。世界のすべての富を手に入れ、王妃が700人、そばめが300人いたそうですが、人生の最後に言った言葉は、「人生はむなしい」でした。よく子どもが「つまんない」って言いませんか?何かのおもちゃで夢中になっていたかと思うと、「これ、つまんない。」次に他のおもちゃで遊んでは又「もう、つまんない。」次から次からもっと、もっと、と求めても、結局満足できない。ニセモノを追い求めている限り、本物の満足は得られないのではないでしょうか。この世の与えるものはニセモノです。ニセの愛は、やがて色あせます。ニセの自由は、退屈か窮屈です。ニセの希望は、失望に変わります。じゃあ、本物はどこにあるんですか?ニセモノと本物をどうやって区別できるんですか?それを見分ける力はこの世からではなく神から来ます。だから、聖書を読むんです。皆さんは宝石の鑑定士がどうやって本物とニセモノを鑑定できるようになるか、ご存知ですか?それは、徹底的に本物の宝石だけを見る訓練をするんだそうです。そうすれば本物が分かる。ということは、私たち自身、本物の愛、本物の自由、本物の希望を聖書からしっかり学んで、ただ知識として知るだけでなく、それを子どもたちに見せていく、そのことがとっても大切なんではないでしょうか。

1.         本物の愛

「あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎む者に善を行いなさい。」(ルカ627

 

イエス様は自ら進んで自分に殺意を抱く人々を救うために、十字架の上で自分の命をささげられました。敵対する者のためにいのちを差し出す、これ以上の愛があるでしょうか。私達は人からちょっと言われるとカチンと来たり、傷ついたりします。でも、イエス様は「その人を赦しなさい。愛しなさい。その人のためになる事をしなさい。」と言われるのです。でも、傷ついている人は人をも傷つけてしまうものです。イエス様に癒していただきましょう。そして、すぐカッとくる(easy to get offended)態度を改めましょう。また、あなたの周りにそういう人、すぐ怒ってしまう人がいたら、優しい言葉を何度も何度もその人に伝わるまでかけて、神に愛されている者らしく、愛と忍耐を持ってこのイエス様のことばを伝えて続けてください。イエス様に従う人の周りには奇跡が起こります。自分の思いが砕かれて、イエス様の愛が私達に満ちて周りにあふれますように。

2.         本物の自由

「真理はあなたがたを自由にします。」(ヨハネ832

 

私達には自由があります。何をしてもいいってわけじゃないけれど、自由で選んで私もかつてタバコを吸いました。初めは「どうしてこんなマズイ物、大人は吸うんだろう」と思いながら、だんだんかっこよくふかせるようになると、タバコなしではいられない自分になっていました。自由で吸ってるんだから、自由に吸わなくてもよさそうなのに、吸わないではいられない。だから夜中にでもタバコを求めて出かけていく。これは不自由です。タバコのとりこ、奴隷です。どれほどやめるのに苦労した事か・・・お酒も同じです。ニセの自由は、こうして人間を苦しめるようになります。酒、麻薬、ゲーム、快楽。自由だからとはじめたものが、絡み付いて束縛となり、もがいても逃げられなくなるのです。唯一その束縛から救い出してくださるのはキリスト・イエスです。真理であるイエス様は、やめられない不自由から奴隷となった私達を救い出し、自由にしてくださいます。

3.         本物の希望

「わたし(イエス キリスト)を信じる者は死んでも生きるのです。」(ヨハネ1125

 

あなたはどこに希望をおいていますか?イエス様は、「わたしを信じるなら、たとえあなたの肉体は死んでも、あなたは神と共に生きる」と約束してくださいました。信じますか?信じてこの約束に生きる者に切り替わったら、あなたの人生が変わります。傷つく事を言われても、すぐにカッとしないです。「あ〜この人もキリストの愛が必要なんだな〜。神様、この人を赦します。どうぞこの人を祝福してください。」って祈れる人に変わります。本物の愛で愛され、本物の自由に生き、本物の希望をつかんで生きるなら、心には生ける命の水が泉のようになってあふれ、周りの人に流れるのです。

 

もし今、心に満足感がない、人生つまらないと思っている、あるいはもし、自分が男として女としてこの世に生まれてきた意味が分からない、どんなタレントが自分にあるのか分からない、自分の心に力強さを感じられない、そういう方がこの中にいらっしゃるとしたら、本物と出会っていないのではないでしょうか。本物をつかむなら、それらは与えられます。クリスチャンになったのに、以前とあまり変わらない、喜びがない、そんな方は、もしかしたら本物を知ってはいても何かがずれているのではないでしょうか。そういう方はぜひおっしゃってください。個人的に祈らせてください。

最後には本物が勝ちます。本物をあなたの人生に迎えていますか?本物の愛、本物の自由、本物の希望をもう一度声に出してご一緒に読んでみたいと思います。

 

「あなたの敵を愛しなさい。」(ルカ627

 

「真理はあなたがたを自由にします。」(ヨハネ832

 

「わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」(ヨハネ1125

 

 

インターナショナル・ジャパニーズ・クリスチャン・チャーチ 中林義朗牧師

2011年1月9日礼拝メッセージ